圓蔵寺

歴史
History

はじまり
円満如来蔵院の創建

圓蔵寺の歴史は、今からおよそ1,200年前、平安時代前期の嘉祥3年(850年)にさかのぼります。 光定法師により、現在の愛媛県今治市波方町の地に「円満如来蔵院」として草創され、当時は天台宗に属する寺院として、地域の人々の信仰を集めました。中世には、瀬戸内海を治めた来島村上氏の菩提寺として篤く崇敬され、仏教文化の一拠点として栄えました。

円満如来蔵院の創建

波止浜への移転と
黄檗宗への改宗

江戸時代に入り、今治藩松平家の第4代藩主・松平定直公の命により、元禄4年(1691年)、 寺は塩田開発で賑わいを見せていた波止浜の地に移転されました。この際、宗派も天台宗から黄檗宗へと改められます。黄檗宗は、江戸初期に明の高僧・隠元禅師により伝えられた中国風の禅宗であり、 圓蔵寺の開山には萬福寺第6代住持・千呆和尚が迎えられ、その師である柏厳性爺禅師が勧請開山とされました。

波止浜への移転と黄檗宗への改宗

建築と文化の継承

元禄7年(1694年)には、松平定直公の寄進により、唐様式の「山門(通称:竜宮の門)」が建立されました。 この山門には、隠元禅師の高弟である即非如一禅師の筆による「護国山」の扁額が掲げられ、現在もその姿をとどめています。同年には鐘楼も建立され、以降、圓蔵寺は黄檗宗の教えと共に、建築・書・俳諧といった文化の拠点として、波止浜の町と共に歩み続けてきました。

建築と文化の継承

近代から現代へ

昭和の戦時中には、鐘が金属供出により失われるという悲しい出来事もありましたが、 平成17年(2005年)、地域の有志と信徒の協力により再び鐘が鋳造され、寺に響く音がよみがえりました。現在の圓蔵寺は、禅の道を伝える黄檗宗寺院として、また文化財を守る地として、今治市の中に静かに佇み続けています。

近代から現代へ

祈りと文化の灯を、
これからも

海とともに、塩とともに、信仰とともに歩んできた圓蔵寺の歴史は、 今も門前に立つ一人ひとりの心に、静かに語りかけています。

祈りと文化の灯を、これからも